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古き歴史の宿

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あつみ温泉千年の歴史

温海小唄1 温海小唄2 温海小唄3
−温海小唄−

あつみ温泉にはこの街の情緒を唄ったいくつかの小唄があ
ります。

温海小唄の一句

温海小唄の一句より

温海小唄4 温海小唄5 温海小唄6
藤原清人と瀧の屋のつながり

刀匠として名を残した清人は文政10(1827)年10月、湯温海の滝の屋で呱呱の声を上げる。幼名・小市郎で、幼いころ親戚の斎藤小四郎(温海温泉朝日屋)の養子になった。斎藤家は先祖から刀鍛冶で代々小四郎と称し、清人は12代目に当たると言われ、家伝によれば京都三条で禁裏鍛冶を務めたという。
刀銘には「藤原清人作」「豊前守藤原清人作」など多く用いた。中で、脇差の添名に「名人に似たる所二つあり酒呑みと銭無し」がある。これが湯温海の熊野神社境内にある花崗岩の立派な顕彰碑に刻まれている。碑文の最後には「これは偉大な師清磨を敬慕しわが遠く及ばざるを歎じたもので、清人の人間性の真髄をここにみる」と記し、清人をたたえている。
なお、碑前祭は毎年行われているが、平成8年9月22日には刀匠豊前守藤原清人顕彰碑25年祭を開催した。 (日本美術刀剣保存協会庄内支部・温海町共催)

あつみ温泉大火からの復興

昭和26年、あつみ温泉は温泉街を焼き尽くす大火に見舞われました。大変な被害だったと記されています。現在では道路整備事業も進み、名所の桜並木や通りには休憩スペースが設けられたりと、きれいな温泉街となっています。

昔の瀧の屋外観

←大火前の瀧の屋別館です。昔は、本館、別館がありました。

↓有名作家が泊まって、詩をかいた今はなき客室…。横光利一の夜の靴など…。

昔の客室

横光利一と瀧の屋のつながり

横光利一

■作家名      横光 利一
■読 み      よこみつ りいち
■ローマ字表記  Yokomitsu, Riichi
■生年        1898年3月17日
■没年        1947年12月30日
福島県生まれ。
1921年に「父」「比叡」「南北」を発表し、菊池寛に
認められる。1923年「新小説」に「日輪」を発表。
1924年、片岡鉄兵、川端康成らとともに「文芸時
代」を創刊し、新感覚派文学の運動をおこす。
代表作として「機械」「寝園」など。文学の神様ともいわれた。
1947年12月30日、胃潰瘍にて死去。

【作品:夜の靴】
「温海へ着いたのは5時すぎだった。バスは、どれも満員でやっときたのは故障だった。雨の中を二人で歩いて瀧の屋まで行った。もう真っ暗だった。この宿屋は戦前私達は毎夏来たのだがそれから十年もたっている。私はこの温泉が好きで、何度も書いたことがあるのに一度も名を入れた事がない」


作品中、唯一の実名の宿である。

作家・横光利一はあつみ温泉を毎年のように訪れ、一週間、二週間と滞在したそうです。宿泊先の瀧の屋では、「子供たちが騒いでいても気にせず、机に向かっていた」というエピソードも残っています。

あつみ温泉大火からの復興

お客様からいただいた、横光利一と川端康成の仲良しぶりを紹介している貴重な新聞の切り抜きです。